ベオークは育てる側の気持ちを代弁しているわけではない

先日、ある職場で転職しそうな雰囲気が漂っている方を占ったときに、べオーク(ベルカナ)が出ました。数カ月前に中途入社された高齢の男性だったのですが、新しい職場のやり方になかなか慣れることができず、彼より若い教育係の女性もかなり手を焼いていたようです。

これは転職しそうだぞ…と思い、お節介ながらルーンで占ってみたらベオークが出たので、「だいぶ時間はかかるけれど、そのうち慣れるのかな」と思いました。

ところが1か月後、その男性は会社を辞めてしまいました。

後日、彼の教育係だった女性と話す機会があったのですが、「母親のような気持で教えようと思ったけれど、何ヶ月教えても覚えてくれない。育てるのにもう疲れちゃった」とのことでした。

ベオークは物事がゆっくり進展することを表しますが、対象が既に完成されている状態(この場合は高齢の男性)の場合、それ以上の進展は難しいのかもしれません。
母親のように育てようとしても、育てる対象に成長する可能性がなければ、育ててもいずれは限界に達するといえるのでしょう。

今回、占って気づかされたことは、ベオークは「育てる側の気持ち」を表しているわけではない、ということでした。
もっと時間をかければその男性はもう少し仕事を覚えたかもしれません。しかし、教える方の身になって考えてみると、「育てるのに疲れちゃった」という気持ちになるのも致し方ありません。「時間がかかる=育てる側は苦労する→育てる気が挫ける」という図式に気づかなかったな、と思ったのでした。
また、育てる側(若い女性)が育てる対象(高齢の男性)より年齢が若かったことも、関係しているかもしれませんね。



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